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シャープ社友会 会員情報
更新日:2018年10月 7日
連載:時の流れを訪ねて 鉄道今昔物語

【お知らせ】 第1回「阪和線 今昔物語」以来、13回の「時の流れを訪ねて 鉄道今昔物語」を投稿して頂きました廣田直昭さん(0443)が6月5日
      動脈瘤のため急逝されました。  廣田さん、懐かしい鉄道の記事の投稿、有難う御座いました。 心からご冥福をお祈りいたします。

 ■はじめに
  「だんぢり」 で有名な大阪府岸和田生まれの廣田です。 戦後の不況時に当時の「早川電機工業」へ入社しテレビ試作に従事。
  以来退社する迄ずっとテレビ畠でした。
  現在は社友会のSSフォト クラブ・アマチュア無線同好会で楽しんでいます。 コールサイン:JQ3IEM
   昔の鉄道写真を持って、温故知新 時の流れを探しに出かけました。
  記憶をたどり、写真を見ながら、車窓や駅のホーム等からキョロキョロ。
  当時の面影を残す所・大きく変化した所・立ち入れなくなった場所・ 場所の分らない所・・・がありました。
  地元の人に古い写真を見せ場所を尋ね、昔話に花が咲いたり、若い駅員さんを驚かせたり・・・色々な触れ合いがありました。
 ※タイトル(青字の部分)をクリックすると、記事にジャンプします。  をポイントすると、記事掲載写真の1枚がpopup表示されます。
【第13回】
photo 掲載日:2018年 6月 1日
【第12回】
photo 掲載日:2018年 5月 1日
【第11回】
photo 掲載日:2018年 4月15日
【第10回】
photo 掲載日:2018年 4月 1日
【第9回】
photo 掲載日:2018年 3月 1日
【第8回】
photo 掲載日:2018年 2月 1日
【第7回】
photo 掲載日:2018年 1月 1日
【第6回】
photo 掲載日:2017年12月 3日
【第5回】
photo 掲載日:2017年11月 4日
【第4回】
photo 掲載日:2017年10月10日
【第3回】
photo 掲載日:2017年 9月 6日
【第2回】
photo 掲載日:2017年 8月 9日
【第1回】
photo 掲載日:2017年 6月25日

【号 外】
photo 掲載日:2018年 4月 6日
◎写真集:「時の流れを訪ねて 鉄道今昔物語」のスライドショーもご覧ください。  >写真集:「時の流れを訪ねて 鉄道今昔物語」

   京阪神地区(JR/私鉄)路線図のPDF(PDFビュアーで拡大可能)


 時の流れを訪ねて【第13回】 関西本線 大河原~加茂間 final
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2018年 6月 1日
  関西本線は、名古屋と大阪を 三重県の北勢地方、伊賀地方、京都府南部、奈良県北部を経由して結んでいます。民間の鉄道会社である関西鉄道の路線として1889年
 開業し、名古屋と奈良・大阪を最短距離で結ぶ鉄道路線として 国鉄と乗客を奪い合っ
 た歴史を持ち、路線名もこの社名に由来します。
  国有化後は1970年代まで全線を直通する列車が運転されていましたが、並行する
 東海道本線や東海道新幹線の整備、近鉄特急の台頭、名阪国道の開通によるモータ
 リーゼーションの普及などにより、名阪間の輸送からは撤退しました。
  現在、亀山駅-加茂駅間は非電化で1両ないし2両の気動車による地域輸送が行われ
 ています。 運用車両は JR西日本のローカル線用の小型気動車キハ120形です。
  地方交通線向け標準形気動車として、1991年に製造が開始された新潟鐵工所製の
 16m級 軽快気動車で、一般形気動車のキハ20系・キハ35系・キハ45系や急行形気動
 車のキハ58系などの置換えや線区の活性化を図るため、JR西日本管内の非電化区間に
 投入されました。  亀山鉄道部に14両が配置され、関西本線亀山駅-加茂駅間で、1時間に1~2本 単行か2両編成で運用されています。
  今から62年前の1956年には関西本線を全通する列車や、東海道本線経由東京駅・和歌山線経由和歌山市駅など他区間と直通する列車や急行列車・
 準急列車・D51が牽引する貨物列車などが走っていました。
 時の流れを訪ねて「関西本線 大河原~加茂間」は、1956年に撮影した写真と、62年後の2018年5月に撮影した写真をご覧ください。

 ※ 写真をクリックすると大きくなります。 左右の < > で写真が切替ります。 元の大きさに戻す時は×をクリックしてください。
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 時の流れを訪ねて【第12回】 山陰本線 二代目余部橋梁
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2018年 5月 1日
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  1909年着工 1912年に開通した初代餘部橋梁の架け替えについては、半世紀後の
 1960年代に検討された結果、橋梁の補強改良案が採用された事で以降は保守・補強
 作業に留まっていました。
  列車転落事故後風速規制を 25 m/s から 20 m/s に強化したので、特に冬季間の
 強風時には列車の遅延、運休がたびたび発生しました。
 列車運行の安全性向上と定時性の確保を図る為に、平成3年に専門家による調査検討
 が行われ旧橋梁に防風壁を設置する事も含め様々な技術検討がなされた結果、防風壁
 を備えたコンクリート製の橋梁に架け替える事になりました。
  二代目余部橋梁は2007年3月29日に着工、2010年8月12日に開通しました。
 総事業費30億円、位置は旧橋梁よりも約7m内陸側で、餘部駅のホームが線路の南側
 から北側に変更されました。
  上部は桁上高さ5mの主塔から張られた斜材が桁を吊っており、下部は橋脚4基と橋台2基で構成。高さ1.7mの透明アクリル製防風壁を整備して、
 風速 30 m/s まで運行可能としました。
 これにより定時性確保の向上が図られ、コンクリート製となって橋梁上にバラストも敷かれた為に騒音も大きく軽減されました。
  落下物に関しては20年確率での積雪量を想定した貯雪スペースを設けた構造にして、橋下への落雪を防止するなどの各種対策が施されました。
 また、将来的に電化される場合にも対応できる構造となっています。 デザインは直線で構成されたシンプルな美しさ風景にとけ込む透明感が魅力的
 な部分で、旧橋梁のイメージを取り入れて薄い橋桁にするなど、スレンダーで直線的なイメージを継承するように設計されました。
  2010年8月12日早朝、ディーゼル機関車による試運転列車が最初に新橋梁を渡り、定期列車の初運行は午前6時半過ぎの始発列車で、地元住民約
 120人が乗車して新橋梁を通過し開通を祝いました。こうして二代目余部橋梁は、日本一の初代餘部橋梁の誇りを受け継ぎ運用が開始されました。
 初代同様眺望も美しく新たな余部のシンボルとなっています。

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photo photo photo photo photo photo photo photo 【余部橋梁の場所】←クリックすると開きます 【餘部駅と余部橋梁】←クリックすると開きます

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 時の流れを訪ねて【第11回】 山陰本線旧余部橋梁(2)
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2018年 4月15日
  余部橋梁が完成・開通した1912年当時は餘部駅が存在していなかったため、近隣
 住民は最寄りの鎧駅まで列車の合間を縫って橋梁・トンネル・線路を歩いて向かって
 いました。 1959年に駅設置が決定され駅までの道とプラットホームを造る材料と
 するため地元の子どもたちが海岸から石を運び上げる作業を手伝いました。
  1959年4月16日に餘部駅が橋のすぐ西隣に開業しました。
  長年にわたり地道な保守作業が行われてきましたが、老朽化の進む橋梁をこのまま
 利用し続けてよいのか検討作業が行われ、現在線で補強改良する案とルート変更案を
 比較検討し、1965年11月補強することでさらに30年以上の使用に耐えるとの結論が
 出され、補強改良する事になりました。
  1986年12月28日13時25分頃、香住駅より浜坂駅へ回送中の列車(DD51形1187
 号機とお座敷列車「みやび」7両の計8両編成)が日本海からの最大風速約33m/sの
 突風にあおられ、客車の全車両が台車の一部を残して、橋梁中央部付近より転落し、  
 転落した車両は橋梁の真下にあった水産加工工場と民家を直撃し、工場が全壊、民家が半壊しました。 回送列車で乗客は居ませんが工場の従業員
 だった主婦5名と列車に乗務中の車掌1名の計6名が死亡、客車内にいた日本食堂の車内販売員3名と工場の従業員3名の計6名が重傷を負いました。
  なお、重量のある機関車が転落を免れた事と、民家の住民が留守だった事で、機関士と民家の住民は無事でした。
 この橋梁からの列車の転落は、橋の完成以来初めての惨事で1988年10月23日に事故現場に慰霊碑が建立されました。
  列車転落事故後に風速規制が強化された事から運休や遅延が相次ぐようになり、その対策として防風柵の設置が検討されましたが、長期的な安全性
 を考慮して架け替え案が採用されることになりました。 直近の地元住民は多くの落下物や騒音に悩まされてきた事例もあり、旧橋梁による負の一面
 も有りました。 2010年7月16日午後9時50分頃「はまかぜ」5号の通過をもって営業運行を終了、翌7月17日から区間運休し旧橋梁の解体撤去作業
 が開始され、新旧切替工事が8月11日まで行われ、2010年8月12日から新橋梁の供用が始まりました。
  次回は新余部鉄橋についてお知らせする予定です。

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photo photo photo photo 【餘部駅と余部橋梁】←クリックすると餘部駅付近の地図が開きます

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 時の流れを訪ねて【第10回】 山陰本線旧余部橋梁(1)
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2018年 4月 1日
  旧橋梁は1909年12月16日着工,1912年1月13日完成,同年3月1日に開通しました。
 全長310.59 m,下を流れる長谷川の河床からレール面までの高さ 41.45 m, 総工費
 331,536円。 土木学会による技術評価では近代土木遺産のAランクに指定されてい
 ました。 独特な構造と鮮やかな朱色がもたらす風景は鉄道ファンのみならず、山陰
 地方を訪れる観光客にも人気がありました。 完成当時は東洋一のトレッスル橋と謳
 われましたが、実際にはミャンマー北東部で1901年に建設された鋼材トレッスル橋
 ゴッティ鉄橋(全長689m、高さ102m)が既に存在していました。 しかし日本国内
 では運用終了時まで最長のトレッスル橋でした。
  鉄道用鉄橋の耐用年数は40年とされていますが旧橋梁はそれを上回って長期間耐用
 する結果を残しました。 余部は特に厳しい地形や環境であったことから地道な保守
 作業や適切な維持管理が継続されたこと、鉄橋構成各部位の精度が高く建設当時から
 晩年に至るまで狂いが生じていなかったこと、財政的負担などの事情もあり、結果的
 に完成から98年という長期にわたる運用実績を残しました。 1912年1月13日工事が完成し1月28日、無事試運転を行うことができました。
  試運転はC形タンク機関車の重連で行われ、速度を変えながら数回にわたって走行し、3月1日に京都 - 出雲今市(現出雲市)間の山陰本線が全通しま
 した。 山陰本線が開通するまで山陰方面へは舞鶴と境を結ぶ鉄道連絡船が就航していました。 しかし山陰本線開通に伴いこの航路は廃止となり、
 それまで船舶乗り継ぎで京都 - 出雲今市間は24時間19分かかっていたのが、直通列車で12時間49分に短縮されました。 三方を山に囲まれ、一方は
 海岸から近いという厳しい地形と、季節風や吹雪が吹き付ける環境であることから、完成3年後には早くも塗装作業が必要となり、5年後からは腐食
 した部品の交換が始められました。 常時保守が必要であったため1917年から1965年まで、鉄橋守が常駐して維持管理を行っていました。
 鉄橋守が置かれなくなった後も潮風が吹きつける橋脚には防錆処理をするため、4 - 5年に1度の周期で塗装作業が行われてきました。
  次号に続きます。

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photo photo photo photo 【余部橋梁の場所】←クリックすると地図が開きます

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 時の流れを訪ねて【第9回】 可愛いナローゲージ
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2018年 3月 1日
  ナローゲージと呼ばれる鉄道をご存知でしょうか。
 ナロー=狭い、ゲージ=軌間 です。つまり線路の幅が通常よりも狭い鉄道を指します。
 ナローゲージは軽便鉄道とも呼ばれ明治から大正にかけて地方に多く建設されました。
 しかし構造上大量輸送に向かない事もあり次々に廃止、現役で残っているのは、日本で
 は3路線しかありません。そのうち、富山県の黒部峡谷鉄道は冬季は積雪のため運休する
 観光鉄道です。これに対して、日常の足として使われているのが、四日市あすなろう鉄道
 内部線・八王子線と、三岐鉄道北勢線の2つで、どちらも三重県の北勢地方にあります。
  三岐鉄道北勢線は2003年4月1日近畿日本鉄道から三岐鉄道が北勢線の鉄道事業を譲渡
 されました。三重県桑名市の西桑名駅から三重県いなべ市の阿下喜駅までを結ぶ鉄道路線
 で、路線総延長20.4Km・軌間762mmナローゲージ・全線750V架空電車線方式の電化
 複線区間なし・運行速度最高45Kmです。
  四日市あすなろう鉄道は近畿日本鉄道が保有運営していた鉄道路線内部線と八王子線を、2015年4月1日より四日市市が保有し運行している鉄道路線です。
 内部線(あすなろう四日市駅―内部駅間)、八王子線(日永駅―西日野駅間)の2路線営業路線5.7Km・軌間762mmナローゲージ・複線区間なし・駅数9駅
 です。 三重県でしか乗ることのできないナローゲージの写真をご覧ください。
  三岐鉄道北勢線は桑名駅(JR・近鉄)から南に150m程離れた西桑名駅から出発します。
 ここでお勧めなのが西桑名駅から更に南に200m程進んだ所にある踏切です。 三岐鉄道北勢線軌間762mm・JR関西本線軌間1067mm・近鉄名古屋線軌間
 1435mmが並んで走っており、渡れば軌間の違いが体感できる場所です。
  又、終点の阿下喜駅で毎月第一・第三日曜日に一般公開される軽便鉄道博物館でミニ列車に乗るのも思い出に残ります。
 四日市あすなろう鉄道のあすなろう四日市駅は近鉄四日市駅から歩いて数分の近鉄名古屋線の高架下にあります。
 あすなろう四日市駅から終点の内部まで17分・西日野まで8分で夫々1時間に2本ずつ運行しています。


 ※ 写真をクリックすると大きくなります。 左右の < > で写真が切替ります。 元の大きさに戻す時は×をクリックしてください。
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photo photo photo photo photo photo photo  ※写真は、平野義夫さん(1131)から提供して頂きました。
京阪神地区(JR/私鉄)路線図のPDF(PDFビュアーで拡大可能)

◎写真集:「時の流れを訪ねて 鉄道今昔物語」のスライドショーもご覧ください。  >写真集:「時の流れを訪ねて 鉄道今昔物語」
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 時の流れを訪ねて【第8回】 近畿日本鉄道 今昔物語
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2018年 2月 1日
 近畿日本鉄道株式会社(近鉄)は、大阪府・奈良県・京都府・三重県・愛知県の
2府3県 に跨る営業路線網を持つ大手私鉄です。 総営業キロは、JRをのぞく日本
の鉄道事業者中最長の497.8kmに及び、続く463.3kmの東武鉄道、444.2kmの名
古屋鉄道と共に、400km以上の路線網を擁する日本の大手私鉄の一つとなって
います(2017年4月1日現在)。
 近鉄の保有路線は、線路の幅では標準軌(1,435mm軌間)、狭軌(1,067mm軌間)
の2つに分けられ、かつては特殊狭軌(762mm軌間)も有していました。
 近鉄の直系母体である大軌が、路面電車と同じ軌道線扱いで開業したため、同様
の形で先行して開業していた阪神電気鉄道・箕面有馬電気軌道(現:阪急電鉄)・京阪
電気鉄道などと同じ標準軌を採用しました。 しかし同社が他社を買収して組み込
んだ路線の多くは、国有鉄道線と貨車の直通運転を行っていた関係で、国鉄と同じ
狭軌を採用していました。 かつて有していた762mm軌間の特殊狭軌は軽便鉄道
の流れを受け継いだものです。 現在日本では近鉄が三重県の三岐鉄道に譲渡した旧近鉄北勢線、四日市あすなろう鉄道に移管した旧近鉄内部・
八王子線、それに専用鉄道を一般営業路線にした黒部峡谷鉄道本線しか存在していません。
 今回も昔の写真を手に時の流れを訪ねての写真撮影時に、色々な事がありました。
 【今里】 複々線にそれぞれに車両が写る時を狙って待った時間が48分。
 【新玉手山トンネル】 狭い山道をトンネルの近くまで、途中野生の猪に出くわしビックリ。
 【西ノ京駅】 昔はホーム横の薬師寺の石碑の手前で発車待ちの列車を撮影。今回は石碑の手前を通過する停車前の写真を撮影。
 【油阪】 道幅が広くなり、昔は高架で国鉄の線路を越えていた近鉄が地下に潜り、JRが高架で道路を越えています。
      西方寺さんは昔の位置にありました。
 次回はナローゲージ(特殊狭軌)の四日市あすなろう鉄道と三岐鉄道北勢線の写真をご覧頂く予定です。


 ※ 写真をクリックすると、今昔の対比写真が表示されます。 左右の < > で写真が切替ります。 元の大きさに戻す時は×をクリックしてください。
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 ☆時の流れを訪ねて【第7回】 戌年生まれの車両 new!
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2017年 1月 1日

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 今回の「時の流れを訪ねては、戌年に生まれた車両を調べました。
 昭和最初の戌年1934年12月」丹那トンネルが電化で開業し、東海道本線は沼津駅
 まで電化完成。充当される大型の国産鉄道車両は完成の域にありました。
 又、1934年(昭和9年)戌年には、旧南満州鉄道の“幻の超特急”と呼ばれる特急
 「あじあ」や、京阪電鉄の「びわこ」が流線型で生まれました。
  84年後の現在、「あじあ」を牽引したパシナ形蒸気機関車の1号機は、中国遼寧省
 瀋陽市の博物館に保存され、「びわこ」は京阪電鉄寝屋川車両基地で静態保存されて
 います。 昨年JR西日本では1969年から48年間大阪環状線を走り続けた、オレンジ
 色の103系が10月3日に勇退して、瑞風がデビューしました。
  山陽電気鉄道では、1965年に、先進的なアルミ合金車両として導入された3000形
 が足かけ53年で642万キロを走り勇退しています。
  近年は旧型車両の刷新が話題になり、毎年記憶に残る車両のデビューや勇退があります。 皆様にも記憶に残る車両はありませんか?
 その車両に思いを寄せると、当時の様子がよみがえり、癒しの時間が生まれる様に思います。  戌年に生まれた車両の写真をご覧ください。


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現役時代にお世話になったSさんという女性から頂戴しました 励ましのお手紙photo ←ポイントするとpopup表示します。
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 ☆時の流れを訪ねて【第6回】 蒸気機関車が牽引するお召列車
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2017年12月 3日

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  天皇陛下が2019年4月30日に 退位される事が固まった。
 天皇皇后両陛下が奈良畝傍の神武天皇陵へご成婚奉告の ご乗用列車を、1959年4月
 29日桜井線畝傍-香具山間で撮影して60年弱になります。 今回は12月23日の天皇
 誕生日にちなみ蒸気機関車が牽引する(お召列車・ご乗用列車の)写真をご覧下さい。
 お召し列車は、天皇・皇后・皇太后が使われる為に特別に運行される列車です。
 天皇・皇后・皇太后以外の皇族の為に運行する列車は御乗用列車と呼びます。
 お召し列車の運行には「三原則」があると言われています。
  ・他の列車と並んで走ってはならない。
  ・追い抜かれてはならない。
  ・立体交差では上の線路をほかの列車が走ってはならない。  の三原則です。
 当時はお召し列車の10分程前に先導列車が運行され、先導列車が通過後はポイント
 操作が許されないなど、特別の配慮がとられました。
 先導列車は鉄道ファンなどから「露払い列車」と呼ばれています。

  運転士は運転区間を管轄する車両基地内で技術・勤務態度・人間性を踏まえて選ばれ、特に衝撃のない発車や停止、数秒の狂いもない運転、
 数cmのズレも許されない停止位置など通常の列車に比べて極めて細かい運行が求められるため運転技術が特に優れた運転士が選ばれました。
 現代においても、お召し列車の運行については沿線や駅の警備の他に、下に記した事柄の如く細心の注意が払われています。
  ①車両が故障した時の代替として予備車を用意する。
  ②電化区間の場合は、停電時の対策にディーゼル機関車を用意する場合も有る。
  ③通常の車両を使用する場合でも塗装を塗り直した上でフラットを無くすために車輪の削正適正な踏面形状への削り直しを施工し、窓を防弾
   ガラスにする。 また、警察用無線の設置スペースが確保されています。
  ④列車の運行の直前に特別の回送列車(指導列車、通常は単行機関車)を走らせ、線路上に問題がないことを確認します。(通称「露払い)
 列車の性格上、テロ対策の為、極めて厳しい警備が行われます。 ごみ箱やコインロッカーの使用が禁止されたり、場合によってはプラット
 ホームへの入場制限が行われたりし、沿線には警察官が配置され、列車上空をヘリコプターが追尾します。
 ただし沿線で写真を撮る事が縛られているわけではなく、お召し列車を撮る鉄道ファンも少なくありません。
 近年、お召列車は国賓を迎えた際など特別な場合のみ用いられています。


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 時の流れを訪ねて【第5回】 東海道本線今昔物語
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2017年11月 4日

photo photo ポイントするとPOPUP表示します→ 新快速の車窓からphoto
  東海道本線は、東京から横浜・名古屋・大阪などの各都市を経て神戸までを結ぶ
 全長589.5 kmの路線です。路線のうち新橋-横浜間は日本最初の鉄道として1872年
 (明治5年)に開業しました。
 ・1889年(明治22年)に新橋-神戸間の全線が開業して首都圏と京阪神とが鉄道で結ば
  れました。
  その後山間部でのルート変更などを経て現在の東海道本線が出来上がっています。
 ・1896年(明治29年)には新橋-神戸間の急行列車の運行が開始され、1900年(明治33
  年)には寝台車、1901年(明治34年)には食堂車の連結も開始されています。
 ・1906年(明治39年)には最急行が登場し、1909年(明治42年)には新橋-神戸間が12
  時間50分にまで短縮。
 ・1912年(明治45年)に特別急行(特急)が新橋-山陽本線下関駅間で運行されました。
 ・1928年(昭和3年)までに東京-熱海間の電化が完成、それまでの蒸気機関車に代わる
  電気機関車の運用も開始されました。 ※以下はスクロール表示です
 ・1929年(昭和4年)には初めて愛称つきの特急「富士」「櫻」が、1930年(昭和5年)には超特急「燕」が登場。
 ・1934年(昭和9年)には丹那トンネルが開業し、「燕」の東京-神戸間は8時間37分となりました。
 ・1937年(昭和12年)7月には特急列車が1日5往復体制となり、このときが戦前における東海道本線の黄金期とされます。
  しかし日中戦争、太平洋戦争が始まり戦時体制下となると、様々な物資を運ぶために貨物列車が増発・長編成化されて、代わって特急列車は
  廃止され寝台車や食堂車も消滅しました。 1945年に入ると連合国軍機による空襲や機銃掃射によって駅や線路・車両が破壊されました。
 ・日本は敗戦を迎え、その後の混乱期には、電力不足や蒸気機関車を動かすための石炭も不足した上に、連合国軍専用車両の導入などもあり
  列車ダイヤは乱れ、特急・急行や一等車・二等車がまったく走らないという事態になり、客車不足のために貨車による旅客輸送が行われたり
  もしました。
 ・1948年(昭和23年)に急行列車が復活。 1949年(昭和24年)に日本国有鉄道が発足、戦後初の特急列車「へいわ」が運行開始、電化区間も
  沼津駅から西へ延び所要時間も戦前の水準にまで短縮されました。
 ・1956年(昭和31年)、東海道本線全線の電化が完成、特急「つばめ」「はと」は東京駅-大阪駅間7時間30分となりました。
 ・1958年(昭和33年)には寝台列車(ブルートレイン)が運行を開始、電車特急「こだま」が運行を開始し、東京駅-大阪駅間を6時間50分で
  結びました。
 ・1960年(昭和35年)には「つばめ」「はと」も電車化されました。
 ・貨物列車では1959年(昭和34年)に高速コンテナ列車「たから」の運行が開始しました。
 ・このころ高度経済成長や東京オリンピックの開催決定を受け輸送力増強のための線増計画が持ち上がり、標準軌による別線建設が決定。
  1959年(昭和34年)に着工が始まり、これが東海道新幹線となりました。
 ・1964年(昭和39年)10月1日、東海道新幹線東京駅 - 新大阪駅間が開業。 これによって東京-京阪神間輸送の主役は新幹線に移ったため、
  在来線と呼ばれるようになった東海道本線では地域輸送主体の路線に変化していきます。
 ・1987年(昭和62年)4月1日に行われた国鉄分割民営化によって、東海道本線は旅客3社と貨物1社に経営が分かれ、各社の地域事情に合わせ
  た輸送改善が行われる様になりました。


 ※ 写真をクリックすると、今昔の対比写真が表示されます。 左右の < > で写真が切替ります。 元の大きさに戻す時は×をクリックしてください。
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 ※写真は、平野義夫さん(1131)から提供して頂きました。
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 時の流れを訪ねて【第4回】 大阪市電 今昔物語
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2017年10月10日

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 編集委員補足 :フリー百科事典Wikipedia参照
 ①大阪市電の路線図photo (POPUP表示します)
 ②市電に代わる市内交通としての大阪市営地下鉄は、大阪市交通局が運営。
 都市計画学者の關一第7代大阪市長が大阪市高速度交通機関計画を策定し日本初
 の公営地下鉄として1933年に御堂筋線の梅田 - 心斎橋間が開業した。
 2015年現在、8路線(1 - 8号線)が営業中で、此花区、西淀川区を除く大阪市
 22区と守口市、吹田市、東大阪市、堺市北区、八尾市、門真市に路線を持つ。
 公営地下鉄としては日本最大で、民営・第三セクターを含めても東京地下鉄
(東京メトロ)に次ぐ規模である。   大阪市営地下鉄路線図

  大阪市電は大阪市が経営していた路面電車で1903年に開業した日本で最初
 の公営による電気鉄道です。
   ※1895年京都電気鉄道によって日本で最初に電気鉄道が開通した京都市ですが、
    公営路線の開通は1912年、全面市営化は1918年です。

  大阪市電として1903年 花園橋~築港桟橋間の5.1kmが開業しました。
 天保山では同年7月、日本で初めて大阪市自身が建設・運営する港として大阪港が
 開港したばかりで、それへのアクセス路線でした。  路線は急速に延長され、
 最盛期は118km弱と、市電では東京都電に次いで日本第2位となりました。
  1950年代後半からの高度経済成長期に入ると、市電遅延や自動車渋滞の常
 態化により、乗客が減少しました。1960年大阪市北部地域を中心に10時間
 に亘る交通マヒが発生。 市電廃止論が強まり大阪市議会は1966年3月市電
 を全廃し地下鉄による交通体系を確立する旨の決議を行いました。
 市電は1969年3月31日限りで65年半の歴史を終えました。
 政令指定都市で市電全廃を断行したのは大阪市電が最初です。
 軌間は標準軌(1435mm)、電圧は直流600V。
 標準軌は、大師電気鉄道に次ぐ日本で2番目の採用でした。
  トロリーバスは終戦直後ガソリンの不足からバスも満足に走らせられない状況
 で、ローコストで建設できるトロリーバス路線を開設することになりました。
 1953年に開業以後、市電がカバーしていない地域を中心に1962年まで
 路線を延長しましたが、自動車が増え市内交通が麻痺し、市電とともにトロリー
 バスがその元凶とされ全通後早くも撤去が考えられるようになり、1965年に
 一部路線の廃止が行われ、大阪万博最中の1970年6月14日限りで市電より
 若干遅いながらも全廃されました。


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 時の流れを訪ねて【第3回】 南海電鉄 今昔物語
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2017年 9月 6日
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南海高野線に関しては→ 南海高野線photo (POPUP表示します)
  南海電鉄photo(南海電気鉄道株式会社)は、大阪ミナミの難波と和歌山・関西空港・
 高野山などを結ぶ大手私鉄で純民間資本としては現存する日本最古の私鉄です。
 2015年に創業130周年を迎えました。 全線がJRの在来線と同じ軌間1,067mm
 の狭軌で、関西の大手私鉄では唯一標準軌(1435mm)の路線を有していません。
 また地下駅がなく、地下鉄乗り入れ対応車両も保有していません。
 大手私鉄でこの両方が該当するのは、南海以外では西日本鉄道(西鉄)のみです。
 【南海本線】1903年難波駅~和歌山市駅間が全通。 大阪市 - 和歌山市間の都市
 間輸送を担う路線ですが、空港線を経由する関西国際空港へのアクセス路線、和
 歌山港線を経由する和歌山港へのアクセス路線の性格も。 和歌山港~徳島港間を
 運航する南海フェリーと本州四国連絡ルートを形成しています。
 大阪平野では南海本線の山側に競合路線のJR西日本阪和線が並走していますが、
 府県境付近の経路は大きく異なっており、山岳区間が長い雄ノ山峠越えの阪和線
 に対して、南海本線は山岳区間が短い孝子峠越えで和歌山市へ至ります。
 沿線には都心の高層ビル群や工業地帯の他、日本の大手私鉄ではあまり例の無い
 海岸線が至近距離から見える区間がある一方で、短距離ながら峠越えのトンネル
 もあるなど、車窓からはバラエティに富んだ風景が見られ路線自体の長い歴史も
 相まって、開業以来現在まで民営を貫いてきた路線として、鉄道唱歌 第五集photo
 於いて当線の駅や沿線風景が歌われています。 車窓から美しい海岸線が望めた
 箱作付近も埋め立てや樹木の生長などで海が見えなくなって乗り鉄の楽しみが
 少なくなりました。 孝子付近は昔の面影が残る懐かしい場所です。
 ※「南海高野線(高野下駅ー極楽橋駅)の運転再開 天空に乗りました」の記事も御覧ください。 


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 時の流れを訪ねて【第2回】 大和路線 今昔物語
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2017年 8月 9日

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  関西本線photoは名古屋駅から亀山、奈良駅を経てJR難波駅(旧湊町駅)に至る鉄道
 路線(幹線)です。 現在のルートは1900年関西鉄道により開業。 その後名阪
 間は官設鉄道(東海道本線)と激しい競争を繰り広げ、関西鉄道は東海道本線より
 20分所要時間が早いスピード競争や、記念品を配ったり運賃を半額にする等派手
 な誘客作戦を実施しましたが、1907年に鉄道国有法により関西鉄道が国有化され
 競争も終わりを告げました。 国有化後はローカル線化していましたが大正時代
 に入って大阪電気軌道、参宮急行電鉄(現在の近畿日本鉄道)等の私鉄が並行して
 路線網を伸ばしてくると、輸送量が逼迫していた東海道本線に代わり、これらの
 私鉄路線に対抗する路線として注目され近鉄に先んじて名古屋駅湊町駅間に快速
 列車が設定されました。 戦後は全国に先駆けて気動車化されてスピードアップ
 が図られました。 その後、東海道本線が全線電化され、近鉄もスピードアップ
 を実施。 さらには東海道新幹線の開業によって関西本線は名阪間輸送の第一線
 から退くことを余儀なくされました。 1988年電化区間の 加茂駅-湊町駅(現在
 はJR難波駅と改名)に大和路線 の愛称を使用開始。   加美駅・久宝寺駅は
 シャープ平野工場・八尾工場の最寄駅です。 60年程前の鉄道写真を持って時の
 流れを訪ね関西本線(大和路線)の今昔物語を作成しました。ご高覧ください。


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 時の流れを訪ねて【第1回】 阪和線 今昔物語
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2017年 6月25日

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  阪和線photoは、大阪市の天王寺駅から和歌山市の和歌山駅までの、61.3Kmを結ぶ
 JR西日本の鉄道路線です。 1929年阪和電気鉄道により、それまで南海鉄道に
 独占されていた大阪・和歌山間の輸送に切り込むため建設されました。
 そのため阪和と南海の間では暫く激しい乗客獲得合戦が繰り広げられましたが、
 1940年に阪和は南海に合併されて同社の山手線になり、更に1944年に阪和間の
 直通路線を有していなかった国鉄に戦時買収され、国鉄阪和線となりました。
  1924年にシャープの創業者早川徳治翁が現在の大阪市阿倍野区に早川金属工業
 研究所を設立されました。 1929年開業の南田辺駅・1938年開業の鶴ケ丘駅は
 90年近くシャープの最寄りの駅として利用されました。
 時の流れを訪ねて 阪和線今昔物語を作成しました。ご高覧ください。   
 ※杉本町駅から美章園駅の区間には開かずの踏切が11か所、全国の開かずの踏切のワースト10の
  3か所の踏切が含まれており、重大な踏切障害事故や主要幹線道路を中心に慢性的な渋滞が発生
  していました。 対策として1983年度から杉本町駅 - 美章園駅間約4.9kmの連続立体交差事業
  が実施され、2004年10月16日に上り線が、2006年5月21日に下り線が高架化されました。
  高架化の前後で大きく風景が変わっています。(編集者後記)



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 ☆ 南海高野線(高野下駅ー極楽橋駅)の運転再開 天空に乗りました
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2018年 4月 6日
 昨年10月22日に近畿地方に接近した台風の影響で高野線上古沢駅構内で地すべりが発生したため、10月
23日の始発から高野下駅―極楽橋駅間の列車運転を見合わせ、バス・タクシーによる代行輸送が行われて
いましたが、復旧工事が終わり、2018年3月31日始発から列車運転が再開されました。
弘法大師空海が開いた世界遺産・高野山は、標高約900mに位置し、その街並みはまさに天空都市の趣です。
「天空」と言う列車の愛称は、その高野山が醸し出す印象に由来します。 車体カラーは山岳区間の風景を
大切にし、森林をイメージした深いグリーンと、高野山にある根本大塔をイメージした朱色のラインが基本
です。 眺望の良い西側面には、ワイドな眺めが楽しめる固定の大型窓を採用。 そして全国の大手私鉄で
唯一の展望デッキを設け風景が一望できる構造になっています。 天空は橋本駅から極楽橋駅までの19.8km
標高差443m間を運行しています。 特に高野下駅から極楽橋駅の区間は、50‰(パーミル ∴50m/1,000m)
の急勾配とトンネル、半径R=100の急カーブが連続し、山岳鉄道らしさを実感できます。 天空は座席指定
の列車です。座席指定券の購入には事前予約photoが必要です。  ※緑色の文字をポイントするとpopup表示します
 難波駅から極楽橋駅までは、特急こうやで乗り換えなしで行けますが、橋本駅で天空に乗り換え極楽橋駅
までの山岳区間を楽しまれるのは如何ですか。    ext_link 天空について(南海電鉄)
※高野線(難波⇔極楽橋 64.5キロ)は、
 1898年(明治31年)大小路(現 堺東)⇔狭山間が開通。
 1900年 道頓堀(現 汐見橋)⇔ 大小路 間が開通。
 1929年(昭和4年)難波駅から発着しました。
 1945年(昭和20年)3月 戦時のため 難波駅から発着廃止、戦後復活。

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◎写真集:「時の流れを訪ねて 鉄道今昔物語」のスライドショーもご覧ください。  >写真集:「時の流れを訪ねて 鉄道今昔物語」
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   京阪神地区(JR/私鉄)路線図のPDF(PDFビュアーで拡大可能)
  star 写真集「時の流れを訪ねて 鉄道今昔物語」
 ※こちらもご覧ください
  猪崎 徹さん(3710)の 「連載 : 東海道五十三次踏破記録」 ←クリックすると開きます。
  猪崎 徹さん(3710)の 「連載 : 川越街道 踏破記録」 ←クリックすると開きます。
  猪崎 徹さん(3710)の 「連載 : 中山道六十九次踏破記録」 ←クリックすると開きます。
  嶋田 博次さん(5108)の 「特集 : 季節の便り」 ←クリックすると開きます。
  金井 猛さん(5158)の 「特集:ぐんま便り」←クリックすると開きます。
  北井 勲さん(2724)の 「連載:北井 勲の独り言」←クリックすると開きます。
  津垣 直彦さん(1455)の 「特集:模型に魅せられて」←クリックすると開きます。

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