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シャープ社友会 会員情報
更新日:2017年11月 4日
連載:時の流れを訪ねて 鉄道今昔物語

 このページでは廣田直昭さん(0443)が投稿された「時の流れを訪ねて 鉄道今昔物語」を第1回から順次掲載します。
 ■はじめに
  「だんぢり」 で有名な大阪府岸和田生まれの廣田です。 戦後の不況時に当時の「早川電機工業」へ入社しテレビ試作に従事。
  以来退社する迄ずっとテレビ畠でした。
  現在は社友会のSSフォト クラブ・アマチュア無線同好会で楽しんでいます。 コールサイン:JQ3IEM
   昔の鉄道写真を持って、温故知新 時の流れを探しに出かけました。
  記憶をたどり、写真を見ながら、車窓や駅のホーム等からキョロキョロ。
  当時の面影を残す所・大きく変化した所・立ち入れなくなった場所・ 場所の分らない所・・・がありました。
  地元の人に古い写真を見せ場所を尋ね、昔話に花が咲いたり、若い駅員さんを驚かせたり・・・色々な触れ合いがありました。
 ※タイトル(青字の部分)をクリックすると、記事にジャンプします。  をポイントすると、記事掲載写真の1枚がpopup表示されます。
第1回
鉄道今昔物語
photo    掲載日:2017年 6月25日
第2回
鉄道今昔物語
photo    掲載日:2017年 8月 9日
第3回
鉄道今昔物語
photo    掲載日:2017年 9月 6日
第4回
鉄道今昔物語
photo    掲載日:2017年10月10日
第5回
鉄道今昔物語
photo    掲載日:2017年11月 4日

  ☞ 京阪神地区(JR/私鉄)路線図のPDF(PDFビュアーで拡大可能)


 【第1回】 阪和線 今昔物語
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2017年 6月25日

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  阪和線photoは、大阪市の天王寺駅から和歌山市の和歌山駅までの、61.3Kmを結ぶ
 JR西日本の鉄道路線です。 1929年阪和電気鉄道により、それまで南海鉄道に
 独占されていた大阪・和歌山間の輸送に切り込むため建設されました。
 そのため阪和と南海の間では暫く激しい乗客獲得合戦が繰り広げられましたが、
 1940年に阪和は南海に合併されて同社の山手線になり、更に1944年に阪和間の
 直通路線を有していなかった国鉄に戦時買収され、国鉄阪和線となりました。
  1924年にシャープの創業者早川徳治翁が現在の大阪市阿倍野区に早川金属工業
 研究所を設立されました。 1929年開業の南田辺駅・1938年開業の鶴ケ丘駅は
 90年近くシャープの最寄りの駅として利用されました。
 時の流れを訪ねて 阪和線今昔物語を作成しました。ご高覧ください。   
 ※杉本町駅から美章園駅の区間には開かずの踏切が11か所、全国の開かずの踏切のワースト10の
  3か所の踏切が含まれており、重大な踏切障害事故や主要幹線道路を中心に慢性的な渋滞が発生
  していました。 対策として1983年度から杉本町駅 - 美章園駅間約4.9kmの連続立体交差事業
  が実施され、2004年10月16日に上り線が、2006年5月21日に下り線が高架化されました。
  高架化の前後で大きく風景が変わっています。(編集者後記)



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 【第2回】 大和路線 今昔物語
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2017年 8月 9日

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  関西本線photoは名古屋駅から亀山、奈良駅を経てJR難波駅(旧湊町駅)に至る鉄道
 路線(幹線)です。 現在のルートは1900年関西鉄道により開業。 その後名阪
 間は官設鉄道(東海道本線)と激しい競争を繰り広げ、関西鉄道は東海道本線より
 20分所要時間が早いスピード競争や、記念品を配ったり運賃を半額にする等派手
 な誘客作戦を実施しましたが、1907年に鉄道国有法により関西鉄道が国有化され
 競争も終わりを告げました。 国有化後はローカル線化していましたが大正時代
 に入って大阪電気軌道、参宮急行電鉄(現在の近畿日本鉄道)等の私鉄が並行して
 路線網を伸ばしてくると、輸送量が逼迫していた東海道本線に代わり、これらの
 私鉄路線に対抗する路線として注目され近鉄に先んじて名古屋駅湊町駅間に快速
 列車が設定されました。 戦後は全国に先駆けて気動車化されてスピードアップ
 が図られました。 その後、東海道本線が全線電化され、近鉄もスピードアップ
 を実施。 さらには東海道新幹線の開業によって関西本線は名阪間輸送の第一線
 から退くことを余儀なくされました。 1988年電化区間の 加茂駅-湊町駅(現在
 はJR難波駅と改名)に大和路線 の愛称を使用開始。   加美駅・久宝寺駅は
 シャープ平野工場・八尾工場の最寄駅です。 60年程前の鉄道写真を持って時の
 流れを訪ね関西本線(大和路線)の今昔物語を作成しました。ご高覧ください。


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 【第3回】 南海電鉄 今昔物語
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2017年 9月 6日
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南海高野線に関しては☞ 南海高野線photo (POPUP表示します)
  南海電鉄photo(南海電気鉄道株式会社)は、大阪ミナミの難波と和歌山・関西空港・
 高野山などを結ぶ大手私鉄で純民間資本としては現存する日本最古の私鉄です。
 2015年に創業130周年を迎えました。 全線がJRの在来線と同じ軌間1,067mm
 の狭軌で、関西の大手私鉄では唯一標準軌(1435mm)の路線を有していません。
 また地下駅がなく、地下鉄乗り入れ対応車両も保有していません。
 大手私鉄でこの両方が該当するのは、南海以外では西日本鉄道(西鉄)のみです。
 【南海本線】1903年難波駅~和歌山市駅間が全通。 大阪市 - 和歌山市間の都市
 間輸送を担う路線ですが、空港線を経由する関西国際空港へのアクセス路線、和
 歌山港線を経由する和歌山港へのアクセス路線の性格も。 和歌山港~徳島港間を
 運航する南海フェリーと本州四国連絡ルートを形成しています。
 大阪平野では南海本線の山側に競合路線のJR西日本阪和線が並走していますが、
 府県境付近の経路は大きく異なっており、山岳区間が長い雄ノ山峠越えの阪和線
 に対して、南海本線は山岳区間が短い孝子峠越えで和歌山市へ至ります。
 沿線には都心の高層ビル群や工業地帯の他、日本の大手私鉄ではあまり例の無い
 海岸線が至近距離から見える区間がある一方で、短距離ながら峠越えのトンネル
 もあるなど、車窓からはバラエティに富んだ風景が見られ路線自体の長い歴史も
 相まって、開業以来現在まで民営を貫いてきた路線として、鉄道唱歌 第五集photo
 於いて当線の駅や沿線風景が歌われています。 車窓から美しい海岸線が望めた
 箱作付近も埋め立てや樹木の生長などで海が見えなくなって乗り鉄の楽しみが
 少なくなりました。 孝子付近は昔の面影が残る懐かしい場所です。


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 【第4回】 大阪市電 今昔物語 new!
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2017年10月10日

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 編集委員補足 :フリー百科事典Wikipedia参照
①☞大阪市電の路線図photo (POPUP表示します)
②市電に代わる市内交通としての大阪市営地下鉄は、大阪市交通局が運営。
 都市計画学者の關一第7代大阪市長が大阪市高速度交通機関計画を策定し日本初
 の公営地下鉄として1933年に御堂筋線の梅田 - 心斎橋間が開業した。
 2015年現在、8路線(1 - 8号線)が営業中で、此花区、西淀川区を除く大阪市
 22区と守口市、吹田市、東大阪市、堺市北区、八尾市、門真市に路線を持つ。
 公営地下鉄としては日本最大で、民営・第三セクターを含めても東京地下鉄
(東京メトロ)に次ぐ規模である。  ☞ 大阪市営地下鉄路線図

  大阪市電は大阪市が経営していた路面電車で1903年に開業した日本で最初
 の公営による電気鉄道です。
   ※1895年京都電気鉄道によって日本で最初に電気鉄道が開通した京都市ですが、
    公営路線の開通は1912年、全面市営化は1918年です。

  大阪市電として1903年 花園橋~築港桟橋間の5.1kmが開業しました。
 天保山では同年7月、日本で初めて大阪市自身が建設・運営する港として大阪港が
 開港したばかりで、それへのアクセス路線でした。  路線は急速に延長され、
 最盛期は118km弱と、市電では東京都電に次いで日本第2位となりました。
  1950年代後半からの高度経済成長期に入ると、市電遅延や自動車渋滞の常
 態化により、乗客が減少しました。1960年大阪市北部地域を中心に10時間
 に亘る交通マヒが発生。 市電廃止論が強まり大阪市議会は1966年3月市電
 を全廃し地下鉄による交通体系を確立する旨の決議を行いました。
 市電は1969年3月31日限りで65年半の歴史を終えました。
 政令指定都市で市電全廃を断行したのは大阪市電が最初です。
 軌間は標準軌(1435mm)、電圧は直流600V。
 標準軌は、大師電気鉄道に次ぐ日本で2番目の採用でした。
  トロリーバスは終戦直後ガソリンの不足からバスも満足に走らせられない状況
 で、ローコストで建設できるトロリーバス路線を開設することになりました。
 1953年に開業以後、市電がカバーしていない地域を中心に1962年まで
 路線を延長しましたが、自動車が増え市内交通が麻痺し、市電とともにトロリー
 バスがその元凶とされ全通後早くも撤去が考えられるようになり、1965年に
 一部路線の廃止が行われ、大阪万博最中の1970年6月14日限りで市電より
 若干遅いながらも全廃されました。


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 ☆時の流れを訪ねて(5) 東海道本線今昔物語 new!
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2017年11月 4日

photo ポイントするとPOPUP表示します ☞ 新快速の車窓からphoto
  東海道本線は、東京から横浜・名古屋・大阪などの各都市を経て神戸までを結ぶ
 全長589.5 kmの路線です。路線のうち新橋-横浜間は日本最初の鉄道として1872年
 (明治5年)に開業しました。
 ・1889年(明治22年)に新橋-神戸間の全線が開業して首都圏と京阪神とが鉄道で結ば
  れました。
  その後山間部でのルート変更などを経て現在の東海道本線が出来上がっています。
 ・1896年(明治29年)には新橋-神戸間の急行列車の運行が開始され、1900年(明治33
  年)には寝台車、1901年(明治34年)には食堂車の連結も開始されています。
 ・1906年(明治39年)には最急行が登場し、1909年(明治42年)には新橋-神戸間が12
  時間50分にまで短縮。
 ・1912年(明治45年)に特別急行(特急)が新橋-山陽本線下関駅間で運行されました。
 ・1928年(昭和3年)までに東京-熱海間の電化が完成、それまでの蒸気機関車に代わる
  電気機関車の運用も開始されました。 ※以下はスクロール表示です
 ・1929年(昭和4年)には初めて愛称つきの特急「富士」「櫻」が、1930年(昭和5年)には超特急「燕」が登場。
 ・1934年(昭和9年)には丹那トンネルが開業し、「燕」の東京-神戸間は8時間37分となりました。
 ・1937年(昭和12年)7月には特急列車が1日5往復体制となり、このときが戦前における東海道本線の黄金期とされます。
  しかし日中戦争、太平洋戦争が始まり戦時体制下となると、様々な物資を運ぶために貨物列車が増発・長編成化されて、代わって特急列車は
  廃止され寝台車や食堂車も消滅しました。 1945年に入ると連合国軍機による空襲や機銃掃射によって駅や線路・車両が破壊されました。
 ・日本は敗戦を迎え、その後の混乱期には、電力不足や蒸気機関車を動かすための石炭も不足した上に、連合国軍専用車両の導入などもあり
  列車ダイヤは乱れ、特急・急行や一等車・二等車がまったく走らないという事態になり、客車不足のために貨車による旅客輸送が行われたり
  もしました。
 ・1948年(昭和23年)に急行列車が復活。 1949年(昭和24年)に日本国有鉄道が発足、戦後初の特急列車「へいわ」が運行開始、電化区間も
  沼津駅から西へ延び所要時間も戦前の水準にまで短縮されました。
 ・1956年(昭和31年)、東海道本線全線の電化が完成、特急「つばめ」「はと」は東京駅-大阪駅間7時間30分となりました。
 ・1958年(昭和33年)には寝台列車(ブルートレイン)が運行を開始、電車特急「こだま」が運行を開始し、東京駅-大阪駅間を6時間50分で
  結びました。
 ・1960年(昭和35年)には「つばめ」「はと」も電車化されました。
 ・貨物列車では1959年(昭和34年)に高速コンテナ列車「たから」の運行が開始しました。
 ・このころ高度経済成長や東京オリンピックの開催決定を受け輸送力増強のための線増計画が持ち上がり、標準軌による別線建設が決定。
  1959年(昭和34年)に着工が始まり、これが東海道新幹線となりました。
 ・1964年(昭和39年)10月1日、東海道新幹線東京駅 - 新大阪駅間が開業。 これによって東京-京阪神間輸送の主役は新幹線に移ったため、
  在来線と呼ばれるようになった東海道本線では地域輸送主体の路線に変化していきます。
 ・1987年(昭和62年)4月1日に行われた国鉄分割民営化によって、東海道本線は旅客3社と貨物1社に経営が分かれ、各社の地域事情に合わせ
  た輸送改善が行われる様になりました。


 ※ 写真をクリックすると、今昔の対比写真が表示されます。 左右の < > で写真が切替ります。 元の大きさに戻す時は×をクリックしてください。
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 ※写真は、平野義夫さん(1131)から提供して頂きました。


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