9月は好天に恵まれ「旧東海道と中山道の合流点」草津周辺を歩きました。
江戸時代 軍事上 家康は、いち早く街道の整備を行い、奥州街道・日光街道・甲州街道・東海道・中山道の五街道を造りました。その後、参勤交代、宿場町、旅する庶民の道へと変化します。
草津は東海道と中山道が合流する、江戸から52番目の宿場町として賑わいを見せました、そんな旧東海道を瀬田の一里塚から草津宿本陣まで歩きました。
一里塚から弁天池で休憩、本来なら “ほていあおい” が池いっぱいに咲き誇っているはずが残念ながら枯れていました?
「遠藤家」の中庭に立ち寄り、平清盛の孫、清宗の胴塚とされる石塔をお参りしました。
壇の浦の戦いで平家の総大将平宗盛の長子がゆえに共に闘い、義経に敗れ親子共に斬首、わずか17歳の若さでこの世を去りました。
昼食は木蔭が涼しい「立木神社」で、古来より旅の安全と厄除け開運祈願、徳川時代参勤交代の諸大名が草津宿通過のとき道中安全を祈願したそうで、その当時は事故災難が無かったそうです(自転車、自動車あったかな?)。
立寄りの最後「道灌蔵」を見学、太田酒造の代表より太田道灌を祖先に持った太田家の酒造りに至ったお話と美味しい酒の試飲を楽しみ、おみやげに大吟醸を購入されていました。
最後は草津宿本陣前を見て解散としました、距離は8キロと少し多めでしたが87名の参加で
元気に歩くことが出来ました、ご苦労様でした。
(草津宿本陣は草津市役所、教育委員会、等に特別見学お願いしましたが、頑なに断られ断念しました。) |