10月度は京都・亀岡市「明智光秀の城下町を歩く」で亀山城を中心に周辺の城下町を巡りました。
明智光秀はこの城から『敵は本能寺にあり』と出陣、信長に中国攻めの秀吉の援軍を命じられるも
急遽本能寺へ、何故・・諸説ありますが、普段から非常な仕打ちを受けていた・甲州征伐で
武運を立てるも足蹴りにされた。ことから信長の重臣でありながら本能寺の変で信長を暗殺。
又、一説では中国大返しで羽柴秀吉に山崎の合戦で敗れ、落ちてゆく途中で落ち武者狩りの百姓に打たれ自害したとされていますが、首実検の首が3っありいずれも顔面が剥がされていた、その後南光坊天海になった。
突如として家康の幕僚として関ヶ原の戦いで軍師として描かれている。
後に日光東照宮の建立に携わり、日光に明智平区域があり光秀の家紋が陽明門にあります。
その他、徳川2代将軍秀忠と3代将軍家光の「光」と「秀」で光秀とか、実は徳川家康と密約ではなかった
のか?なんて説もあります。
謎多い明智光秀の本能寺の変です。
聖隣寺の織田信長の供養塔の謎も、山崎の合戦で敗れた後、羽柴秀勝が亀山城入城し、建立したとか、城下町にはお城に関係する仕掛け、本町辻子や水に係わる古世親水公園など散策、街中公園で昼食を摂り解散しました。
今回は81名の参加で亀岡観光ボランティアのご協力で楽しく歩きました。 ご苦労様でした。 |