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『阿倍野界隈再発見』をテーマに中世~近代の歴史探訪となりました。暑さも少し和らいだお天気に恵まれ、現地に出かけてNO309 渡邊雄史さんの流暢なガイドであんなところ・こんなところ、伝説や謂れを聞きながら訪ね歩きました。
謡曲に出てきます「虫の声に誘われて♪~友を探せば死んでいた♪」お粗末でした・・・
歩いたコースはチンチン電車東天下茶屋―①松虫塚―②伊藤静雄文学碑―③聖天山(正圓寺)―④天下茶屋公園―⑤安養寺―⑥天満宮―⑦天下(殿下)茶屋―⑧安部野神社と2時間ほどの探訪でしたが、こんな身近な所にあるわ!あるわ!知らないことほんの近くに住んでおられる、社友会の会員さんも、界隈の歴史的価値のある事について知らなかったと、渡邊さんのガイドを熱心に聞いておられました。
「アベの界隈」渡邊さんの名ガイド振り
其の中で興味のあった3つ~4つ・・・・
『あべの』の語源
あべの・・どちらが正しいの「阿倍野」?「阿部野」?
いろいろ説があるそうですが
1) 餘戸(あまべ)昔の地名の『ま』が抜けてあべとなり阿部となった???
2) 阿倍乃嶋説・・・万葉歌人山辺赤人の歌の中に出てくる阿倍???
3) 病免寺説・・・弘法大師が疫難退散の祈祷をした事から天皇より疫免寺(あめんじ)の勅額を賜った
、寺の建立は阿倍氏だから??
他にいろいろ説があるそうですが、当時の土地台帳には全て『阿倍野』と記されていたので阿倍野となりました。それでは「阿部野神社」は?元は倍であったが届出の時受付側が間違って部になったとか・・・・
あほくさ~ *◎×△
創建は安濃恒生「薬舗川口屋」昔からくすり儲かるんですね この人北畠さん南朝の忠臣
『上町台地の景勝地にあった海照山正圓寺』
聖天さんの名で知られています。大聖歓喜天がこの寺のご本尊、願い事をかなえるという仏教守護神です。昔は西に海原を望め、南面は大樹や常緑の低木が原生林のようで、四季それぞれ趣のある風景をみせていたそうです。伏見桃山時代以前は熊の街道から西に聖天山、以後は紀州街道から東に聖天山、参勤交代や堺・和歌山方面の行き帰りにこの道を利用しずいぶん心和む景勝地だったのでしょう。
今では上町台地 = 活断層 環境を大切に
「熊の街道」「紀州街道」それぞれ要所の街道、当時は随分栄えた聖天さん
『天下茶屋』
何か謂れのある地名? わかりました!この近辺住吉大社へ参拝する人が頻繁に行き交う紀州街道がありました。芽木光立という人が武野紹鴎の旧地に茶店を出しました、豊臣秀吉が住吉大社参拝や堺への往来の際、この茶店で休息、風景を楽しみながら茶の湯を飲んだことから「太閤殿下茶屋」といいそれが「天下茶屋」となったとさ。現在大樹と土蔵、石像あり全容は創造できません。
「太閤殿下茶屋」今では石碑が残るだけ
『天神ノ森「天満宮」』
別名「紹鴎(じょうおう)の森天満宮」といいい、千利休の師・武野紹鴎が茶室を構え、隠棲したことから「紹鴎森天満宮」、「天下茶屋天満宮」とも呼ばれています。
紹鴎・利休の顔を見たい人、堺市立博物館まえに行けば見れますよ!
尚、境内に「子安石」があり古くから安産祈願に来ます、
功名ヶ辻みていますか・・秀吉も淀君懐妊・・ここです。 皆さん・・まにあうかも??・
武野紹鴎・千利休「茶」では由緒ある天満宮 「子安石」があり秀吉も祈願淀君ご懐妊で~す
それでは次回NO802 宇田純夫さんご案内で奈良町を予定しています、乞うご期待。11月日程が決まりましたら連絡します。
申し遅れました今回参加は37名でした。有難う御座いました。
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