近鉄奈良駅前に集合 なら奈良館へ 先ずここで『第1問』・・・・・日本の世界遺産は?・・・いくつありますか?(答は最後尾に) 又模型では大仏さまの実物大の手。 大仏様の実物大の手の模型(2問の答えミエミエ) ここで『第2問』・・・・・・大仏さまの右手?・左手?・・どちらが展示? などいろいろ想像しながら5階会場から4階へ、 本日のメイン・・・奈良町の全体木造模型の展示で先ず説明、室町時代?~江戸時代後半~近世の奈良町の形成につき聞きました。 奈良町の模型 元興寺付近 ここで『第3問』・・・奈良町の現存場所は元、何と云う寺の境内だったのでしょう? そんなことあんなこと思いながら、奈良町の散策に出かけました。 今回はなら・観光ボランティアの会で活躍の、社友会会員でもあります宇田純夫さんはじめ3名の方々のご支援により先ずなら工芸館へ、ならの産業は観光の町としてのイメージが大変強く、何があるのか興味津々、江戸時代奈良晒しの生産が盛んでそのほか、墨・筆・人形・団扇・酒など展示されていました。 三条通りから奈良町へ なら工芸館入り口 江戸から戦前までの面影の残す大変迷路のような奈良町に歩を進めていますと、奈良町資料館に 15分の自由見学、館内には古くから伝わる様々な生活民具や著名人の作家が書いた下書き原稿、ギネスに載った大皿、仏像、古銭が展示、よくぞここまで収集したもんだ・・・。この資料館の本命は「身代わり猿」のお守りがメイン。 迷路のような奈良町の通り 奈良資料館(館内撮影禁止) 資料館を出て少しのところに庚申堂がありました。ここに庚申堂の謂われについて書かれていました、「身代わり猿」が古い町並みのあちらこちらに吊り下げている訳資料館でお守りとして売られていた訳、理解できそう。少々説明しておきます・・ 庚申の日にその人が寝つくと「三屍(さんし)の虫」、が天帝にその人の悪口を告げ、そのため悪病や災難を持ってくると云う悪戯をするのです。そこで「三屍の虫」の嫌いなものとして昔から ①コンニャクを庚申の日に食べる ②猿が大嫌い(猿が毛繕いしている姿)虫を取って食べる格好に見える、恐れをなして逃げてしまう それで軒先に猿を吊るし悪病や災難除けのおまじないにしていました、なら町に良く似合いま~す。 長話になりました・・ 庚申堂 お猿さん 散策を続けますと、奈良町に残る「格子の家」が幾つか残っていてボランティアガイドが説明してくれましたが・・・・面白い名前のついたものしか記憶にありません、例えば2階部分の壁に設けている窓・・虫籠窓、町家に入り見学しましたが大戸開ければお店、閉めれば格子戸。隣との間にトオリニワ(隣の物音聞こえません)。ばったり床几・出格子も・・・・ 格子の家 二階の虫籠窓 道路が広くなったり、狭くなったり、坂があったり、曲がりくねったり、変化もあり商売家があり、町家あり、遊郭家もあり、その要所要所に神社あり寺ありそれぞれに歴史を感じながら散策しました。 元興寺塔跡の礎石興福寺の5重の塔に匹敵する立派なものらしいです。ひょっとすると7重の塔かも? 元興寺塔跡 礎石 ここで『第4問』元興寺塔跡礎石は中心が凸形でした、他に凹形のものもあります どちらの礎石が古いでしょうか。 そんなこと考えながら散策の終わり「元興寺」に着きました。短い時間でしたが内容のある歴史探訪でした。来年3月第4回歴史探訪楽しみにしています。 元興寺 答え 1問・・13でした 2問・・左手でした 3問・・元興寺でした 4問・・凹でした |