「久米田寺・久米田池と周辺古墳を訪ねて」で岸和田ボランティアのご協力を得て探訪いたしました。 3月開催予定でしたが雨天のため延期4月に開催となりました。桜の久米田寺・久米田池を予定していましたが時季がずれたためボランティアのお勧めもあり「熊野古道と久米田史跡」を巡る事にしました。 久米田駅前を3班に分かれて出発、まず「熊野古道」へ。岸和田市には下池田町に『池田王子跡』があり、最近できた案内板がありました、かなり細い道で主要道に近付いたり離れたり曲がりの多い街道です、熊野古道より地元では小栗判官が通った道で「小栗街道」と呼ばれていて小栗街道の碑がありました。 久米田駅 池田王子案内 王子跡は民家が 曲がりの多い街道 熊野古道(小栗街道) 道より斜めに建つ民家 小松里町には白河天皇勅願の「扁額」が揚げられた鳥居があり、この辺りを「額」と呼んでいた。今は積川神社に保存、そこから浄行寺に、この寺は古代の豪族の前方後円墳の墓の上に建立されていて後円墳の上には白河天皇が碁を打った碁盤石がありました。寺にソテツが多くあるのは、その形が鳳凰に似ていて縁起が良いためらしい。後円部は庭園になっていて龍の形をした大木が? 扁額 浄行寺 碁盤石 蘇鉄 次に満願寺に立ち寄り、戦国の武将「三好実休(みよし じっきゅう)」がこの寺のすぐ近くで戦死その戦没碑がありました。(河内の守護職畠山高政との戦いで敗れる) 満願寺 戦没碑 時代は飛びとびですが、岸和田市が市制70周年の時池尻町に久米田公園を、遺跡のある公園として「古墳公園」が出来、「貝吹山」「無名塚」「風吹山」「女郎塚」・・6基ほど、中でも「貝吹山古墳」が一番大きく通称『諸兄塚』と呼ばれ3世紀~4世紀と古い古墳です。 名前の由来は古墳の上でほら貝を吹いたから・・古墳の上で風が吹いたから:*><?? 古墳公園貝吹山古墳 古墳公園 久米田寺に入る所に光明塚?光明皇后の御爪と御遺髪を葬った塚(これは本当のようです) 光明塚古墳 墓石 ⑮ ⑯ 天平の時代『行基』によって創建された『久米田寺』は4院から成る古刹「華厳院」「五大院」「多聞院」「明王院」があり毎年10月には岸和田といえば【だんじり】が行基まいりに各町「だんじり」が勢揃いするのでも有名です。 華厳院 五大院 ① 金堂-釈迦如来 ②開山堂-行基菩薩を安置 ③御影堂-弘法大師を安置 金堂 開山堂 ④聖天堂-大聖歓喜天を祀っています ⑤毘沙門堂-本尊毘沙門天 楠正成が深く尊信 ⑥観音堂-先手観世音を安置「扁額」は徳大寺実祖の筆と伝えられています。⑦楼門-久米田池を臨んでいます扁額「龍臥山」は徳大寺実祖の筆。 楼門 ⑧靖霊殿-玄装三蔵法師の霊骨を祀っています ⑨多宝塔-東寺より仏舎利が奉納され平成15年に再建。 焼失後江戸時代に再建されたものですが、久米田は昔から水不足のところで、行基が聖武天皇の命で歳月をかけて築造した、久米田池の護り寺として長きにわたりその恩恵を受けた各町の方々に護られ春は桜の名所として、秋(10月)には「だんじり」で賑わいます。 久米田池 3班の皆さん 午後は久米田資料館で弁当、休憩後座学久米田池について勉強、行ボランティア会長のユーモア-たっぷりのお話を聞きました。 池で一番大きいは久米田池? 狭山池では・・回答 狭山池は池でなくダムとのこと。水量の一番多いのは光明池とのこと。池の水利権は池から一番遠いところが持つ・・解る様な気がする 座学、久米田池について勉強 多くの方々が今でも色々な行事を行い、みんなで護っているそうです。 今では市民のジョギングの場として周囲2.6キロの美しい桜並木で遠くに金剛・葛城の山々が見える景観の良いところでした。 最後に岸和田ボランティアの会長はじめスタッフの方々、久米田資料館をお借りできましたことに感謝申し上げます、有難うございました。 (文 写真:mori) |