天王寺を貸切バスで出発、出席者28名を乗せて目的地に、天候は快晴 温度は30℃を超える猛暑。 今回は涼しいバスの探訪旅行のため安心。米原から岐阜大垣に至る「中山道」、古代から現在に至るまで東 西を結ぶ主要幹線道路で、鈴鹿山脈と伊吹山地に南北から挟まれたこの一帯は日本を東西に分ける関門です。 ここで、古くは 「壬申の乱」 大海人皇子側の軍勢が不破の関に陣取って近江朝を狙う 「姉川の合戦」 織田信長と浅井長政の合戦秀吉手柄立てる 「関ヶ原の合戦」 1600年には天下分け目の合戦 家康天下取る この地は天下取りの重要な場所、こんな所を今回世話人内海さんのご案内で 探訪しました。 集合写真 はにわ館 古代豪族「息長氏」第14代仲哀天皇の妃で神功皇后の出身氏族 天皇家の外威筋として大和政権で大きな 地位を得た。 関係する30基余りの古墳群から出土した「はにわ」を展示。 はにわ館到着 館内 体験型館内 息長氏関係古墳 蓮華寺 足利尊氏に攻められ、六波羅探題の「北条仲時」が鎌倉へ脱出 を図り、中山道の番場宿で佐々木京極道 誉に阻まれ進退窮まり、善戦するも敗れこの寺の本堂前庭で28歳の仲時以下432名 自刃した。時の住職 が之を憐れみ、その姓名と年齢、法名を 過去帳にまとめ、裏山に432の五輪塔を祀り冥福を弔った。 仲時古戦場の悲劇 樹齢700年一向杉 その他一向上人が植えた杉の巨木「一向杉(樹齢700年)」があり 文豪長谷川伸の「瞼の母」の主人公「番 場の忠太郎」にまつわる 地蔵尊があります。 番場の忠太郎地蔵尊 寺内で弁当 清瀧寺徳源院 京極家の菩提寺、鎌倉時代に近江を領していた佐々木氏が、六角氏 京極氏、高島氏、大原氏に分かれ 本家の六角氏は信長に滅ばされたが 京極氏は江戸時代まで大名としてつづき現在にいたっている。 境内には初代氏信「清瀧寺徳源院」建立鎌倉時代~江戸時代まで 30余基の宝筐印塔が一か所にあり各 時代により流行、特徴の変化 が見られるのも極めて珍しい。 京極歴代塔 京極19代から 茶臼山古墳 姉川の合戦で信長の本陣とされた茶臼山古墳(前方後円墳) 天下取りの要所で浅井・朝倉連合軍を撃破した、家康軍と織田信長 茶臼山古墳 姉川を挟み左に家康軍、右奥に浅井長政の居城小谷城写真は織田の本陣 茶臼山 信長本陣茶臼山 長浜城 長浜は信長が、功績のあった「羽柴秀吉」に与えた。初めて城持大名 として治めた町で、佐々木氏が築い た湖岸の今浜城を改築し、本格的な城郭 と城下町を建築し長浜城と改名した。本能寺の変で信長が倒れ たのち 柴田勝家の城となった長浜城は、賎ヶ岳の敗戦で滅びた後「山内一豊」 が城主となった。いわば「 秀吉」と「一豊」の一国一城の城主になった記念すべき城です。その後は彦根城の建築に使われ完全廃城 と化した。 現存、長浜城は昭和58年に新築された博物館です。 秀吉・一豊城 長浜城から伊吹山 ちょっと立ち寄り 秀吉が築いた城下町その面影を残す活気ある商店街を黒壁ガラス館 等見学、大通寺まで散策、盛り沢山 の立ち寄り探訪を終えバスで帰阪となりました。お世話人の内海さんご苦労様でした。 長浜商店街) 黒壁ガラス館 大通寺 (文 写真:mori) |