シャープ社友会 会員情報
更新日:2018年 7月 2日
連載:中山道六十九次踏破記録(詳細PDF付き)
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☆中山道六十九次踏破記録 1日目
掲載日:2016年 1月 9日
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☆中山道六十九次踏破記録 2日目
掲載日:2016年 2月 1日
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☆中山道六十九次踏破記録 3日目
掲載日:2016年 3月 1日
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☆中山道六十九次踏破記録 4日目
掲載日:2016年 4月 1日
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☆中山道六十九次踏破記録 5日目
掲載日:2016年 5月 1日
【5日目】 坂本 - 11.7Km → 軽井沢 - 4.4Km → 沓掛 - 4.3Km → 追分 - 5.0Km → 小田井 - 4.7Km → 岩村田
■横川駅スタート
2014年10月11日(土)、JR信越本線横川駅をスタート、時刻は午前8時15分、天候は晴れ。
■坂本宿 17番目
横川駅から30分程坂道を登って坂本宿に到着。 前回は下木戸跡まで来た後、横川駅まで引き返したので、改めて宿場としての遺跡を探し
ながら歩く。
山の中ながら、往時は碓氷うすい峠を越える旅人が必ず体を休めたので、宿場としては繁盛していたらしく、本陣が2つ、脇本陣は4つあった。
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☆中山道六十九次踏破記録 6日目
掲載日:2016年 6月 1日
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☆中山道六十九次踏破記録 7日目
掲載日:2016年 7月 1日
【7日目】 和田宿 -22.6Km- 諏訪宿
2015年4月17日の夕刻に和田に到着し民宿で一泊、民宿の主人によれば、天気予報では17日は19℃の予定が、11℃までしか上がらず、更に
和田宿(標高800m)の18日の予報は0℃、越える予定の和田峠は標高1530mなので、多分氷点下2~3℃とのこと。 当地は北海道と同程度の
気温で5月に雪が降ることもあるらしい。 同宿の人は、東海道は踏破済みで、既に延べ10日以上かけて日本橋から歩いてきており、本日は
同じ新幹線に乗っていて、佐久平からバスに乗り、芦田宿からゆっくりと歩き、既に和田峠の1100mの地点まで歩いている。
トレッキングシューズに作業ズボンの私に対し、その人は登山靴にスパッタの本格的な登山装備なので、2時間程後発する私はその人の足跡
を辿っていけば良いと一安心。 「熊出没」についてもその人が「露払い」となるだろうし、などと勝手に考えてしまう。
■和田宿スタート
7日目の4月18日、起きて見ると屋外の車の窓は霜で真っ白、前日と異なり、雲一つ無いきれいな青空で風も殆ど無い。
朝食を取り、昼食用に作ってもらった大きなお握り2個を受取り、これだけ寒いと残雪は固くて歩きやすいと勝手に解釈し、持ってきたもの
を全て着込み、民宿の主人に前日到達地点まで車で送ってもらう。
■和田峠越え
7時半、芹沢1里塚から和田峠越えをスタート、同宿の人は歩く時間にして2時間ほど私よりも先行している。しばらく歩くと暑くなり、着て
いるものを1枚づつ脱いでいく。日差しが眩しく、サングラスをかける。 2時間程歩くと、唐沢一里塚で中山道は一般道からそれて山道と
なり、小さな一山を越えると又一般道になり、それを繰り返しながら次第に高度が上がって行き、1100m地点に達したのは10時頃。
中山道は自動車道になったり、山道になったり、自動車道の時は歩道が片側にあったり、無かったり、その片側の歩道も右側だったり、左側
だったり。 手書きの中山道の標識が曲がり道に必ずついていて親切なのだが、歩いている側と逆の側に標識があって見落としてしまい、
30分歩いて間違いに気が付いて標識のあるところまで逆戻り。 前から歩いてくる人があり、挨拶を交わして聞くと、諏訪からバスで来て、
和田峠を越えてからバスを降り、歩いて和田宿へ向かっているとのこと。私がこれから峠を越えると知ると、同行することを考えたらしく、
二つの質問をしてきた。 一つ目は雪対策、私は2時間程先行している人がいるので、その足跡を辿っていくと返事。 2つ目は、熊鈴を
持っているのか、もちろん持っていない。 熊対策はどうするのかとの質問に対しては、「人里に現れる熊は鈴程度では驚かないし、熊に
会う確率は非常に低い」と返事した。 で、結局その人は峠越えを断念し和田宿へ歩いて行った、やれやれ。
大体、宝くじに当たらないのに熊に当たるハズがない!
■接待所と巡査殉職碑
やがて「接待所」にたどり着いた、これは江戸時代からの建物で、中は土間に
なっていて炉が作ってあり、屋内で煮炊きができるようになっている。
その近くに「近藤谷一郎巡査 殉職の地」と書かれた石碑があった。 ネット
で調べると「明治22年近藤谷一郎巡査が護送中に逃走した犯人を捕まえようと
この付近の谷川で格闘となり、腹部を刺され殉職したということの供養碑」と
のこと、明治時代の話だった。
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☆連載 中山道六十九次踏破記録 8日目
猪崎 徹さん(3710)から
掲載日:2016年 8月 1日
【8日目】 諏訪宿 -11.7Km - 塩尻宿 -6.5Km- 洗馬宿 -3.3Km- 本山宿 -7.7Km- 贄にえ川宿
2015年5月22日、新宿7時発のスーパーあずさ1号に乗り上諏訪で各駅停車に乗り換え、下諏訪到着は翌朝9時半。
ように、大きい方は泣いているようにも見える。 その地蔵の横に立っていたのが「夜通道」。 娘が夜這いに通った道のこと。
だからどうしたのと言いたくなるし、それと地蔵の関係が 分からない。 山道に「留山につき許可無く入山禁止」とあり、「留山」とは
何かが気になってネットで調べると、昔の幕府や藩の公用林らしいが、山主と書いてあるので明らかに今は私有地、謎は解けない。
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☆連載 中山道六十九次踏破記録 9日目 贄川宿から福島
猪崎 徹さん(3710)から
掲載日:2016年 9月 1日
裏庭には土蔵があって様々な「櫛」を展示しており、「花魁おいらん」が髪にさしている「かんざしとこうがい」もあった。
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☆連載 中山道六十九次踏破記録 10日目 福島から三留野
猪崎 徹さん(3710)から
掲載日:2016年10月 1日
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☆連載 中山道六十九次踏破記録 11日目 野尻から中津川
猪崎 徹さん(3710)から
掲載日:2016年11月 1日
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☆連載 中山道六十九次踏破記録 12日目 中津川から大湫 new!
猪崎 徹さん(3710)から
掲載日:2016年12月 1日
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☆連載 中山道六十九次踏破記録 13日目 大湫 おお くてから太田
猪崎 徹さん(3710)から
掲載日:2017年 1月 1日
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☆連載 中山道六十九次踏破記録 14日目 太田から加納
猪崎 徹さん(3710)から
掲載日:2017年 2月 1日
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☆連載 中山道六十九次踏破記録 15日目 蘇原駅から東赤坂駅
猪崎 徹さん(3710)から
掲載日:2017年 3月 1日
【15日目】 蘇原駅-約12Km-加納-5.9Km-河渡-4.8Km-美江寺-約6Km-東赤坂駅
9月11日、始発電車に乗り、名古屋経由で前回到達地点のJR高山本線蘇原駅到着はam9:30。
前回の7/31は38度の猛暑でリタイアしたが、本日の予想最高温度は28度で晴れ時々曇り、早朝は長袖でないと寒かったものの既に日は昇り
半袖で快適。 蘇原駅から10分程で旧中山道(国道21号線)に戻り歩き始める。
■空からの爆音と路上の絵
飛行機の爆音が凄まじく、屋根と屋根の隙間から離陸直後で急上昇している自衛隊の輸送機が見え、更にV字型の垂直尾翼の戦闘機2機編隊も
離陸して上空に円を描いている。 調べたら航空自衛隊の各務原基地が近くにある。 速度が速くて視界が狭く写真は取れないが、とにかく
音が凄い。 こんな所によく住んでいられるなと思っていたら、1時間程でピタっとやみ、あとは遠くのヘリコプター音だけ。
足元を見ると歩道の路面に飛行機のタイル絵、この地の住民は飛行機と共存しているのだ。 ユーミンの飛行機雲を口ずさむ。
■スバイダーマン
鵜沼宿から加納宿まで17.4Km、既に半分は歩いているが、旧中山道は国道21号線と並行する旧街道となり、車の通行量は比較的少ないもの
の宿場の遺構は全くない市街地。 歩くのは楽な反面、面白みは少なく、被写体となるような光景には縁遠い。
とある住宅でスパイダーマンを見つけた、しかも2人。この家にはどんな人が住んでいるのだろうか、顔を見たいような、見たく無いような?
■日吉の蛙
鵜沼と加納の間の距離が長いので、間(あい)の宿として新加納の立場(休憩所)が設けられた。
その新加納で「日吉の蛙」の石像があり、ネットで調べたところ、この地にある日吉神社は狛犬ならぬ狛蛙があり「日吉のカエル」として
有名とのこと。
■昼食のランチ
旧中山道は市街地の中の旧街道であり店舗は少ない。 時刻は12時前、朝食は5時だったので早めの昼食をと食堂を探しながら歩いていたら
「ランチあります」のビラを見つけ、その喫茶店に入る。 中身の確認もせずにランチを注文し、出てきたものを見て豪華なのにびっくり。
慌てて値段を確認、750円だったので安心した。 この内容でこの値段は安く、しかも食後のコーヒー付き。 喜んだものの、写真の上段の
箱の左端にある鶏の唐揚とコロッケは油ベトベトでまずかった。
■加納宿 53番目
やっと加納宿に到着、宿場遺構は何もなく、説明板があるのみで、行政的には岐阜市。 ガイドマップに「ドラキュラ館」とあり、観光地に
よくあるXX館かと思ったら、ただの廃墟ビル。 こんなものマップには書かないで欲しい。
そのすぐそばに「二文字屋」の屋号と木製の杵つき兎をかざっている店があり、近づいたら鰻料理の店で、調べたら元和6年(1620年)創業の
超老舗、兎は『左甚五郎』が欄間に彫ったもの。もう少し我慢すればここの鰻を食べられたのに、残念!
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☆連載 中山道六十九次踏破記録 16日目 東赤坂駅から醒井
猪崎 徹さん(3710)から
掲載日:2017年 4月 1日
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☆連載 中山道六十九次踏破記録 17日目 醒井から武佐
猪崎 徹さん(3710)から
掲載日:2017年 5月 1日
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☆連載 中山道六十九次踏破記録 18日目 武佐から瀬田駅
猪崎 徹さん(3710)から
掲載日:2017年 6月 1日
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☆連載 中山道六十九次踏破記録 19日目 瀬田駅から京都三条大橋
猪崎 徹さん(3710)から
掲載日:2017年 7月 1日
【19日目】 瀬田駅------大津-11.7Km-京都三条大橋
12月5日、前回到達の瀬田駅を9時半スタート、雲があるものの晴れ。 11月末に歩く予定だったが寒波襲来で延期し本日となった。
本日のコースを歩くのは4回目、瀬田駅からお馴染みの道標まで10分程歩いてから中山道となるが、草津からは東海道と同じなので、道標と
しては「東海道」となる。
瀬田の唐橋ではいつものボート練習風景、一人、2人から10人程で漕いでいるものまで或いはメガホンを持ったコーチらしき人のモータボート
もあり、様々なサイズのボートが見渡す範囲で30隻以上、唐突に「・・ボートは沈みぬ千尋の海原・・」と「真白き富士の嶺」が頭に浮かび、
メロディが頭の中を流れ始め、口に出さずに歌いながら歩いていると、なんだか物悲しい気持ちとなる。
石山の商店街にさしかかるとチンドン屋の賑やかな音が聞こえ、パチンコ屋のリニューアルオープンの宣伝でカメラを向けたら先頭のお姉さん
が手をふってくれ、気分はまた高揚、我ながら単純!
石山から膳所(ぜぜ)へ、折れ曲がりの多い旧城下町の道となるが、城跡などは何もなく、跡を示す標識のみ。
旧家と寺の多い街中で、突然モノクロからカラーとなったようなイメージで銀杏の黄色と紅葉の赤の旧家が現れ、足を停めた。
そんな旧家の中で1階の屋根に人形のようなものを置いた家がある。
同様な人形を同様な場所に置いた家が何軒かあり、魔除けと思うがこの辺の風習か?
■大津宿 69番目
木曽義仲と芭蕉の墓のある義仲寺は土曜日にも拘わらず静かで観光客は見当らず、立ち寄らずに素通り。 ひたすら歩いて大津に到着。
宿場の遺構は残っていないものの、旧家は多い。 街角に「ロシア皇太子受難の地」の石碑があり、当時のロシア皇太子がこの地で日本の巡査
に切りつけられたもので、大国ロシアを恐れた日本は明治天皇が京都に駆けつける大事件となった。 その皇太子は後に皇帝となって革命勢力
を弾圧し、ロシア革命で処刑されるが、ネットで面白い記事を見つけた。
「この事件に遭遇して以降、皇太子は日本人に嫌悪感を持つようになり、ことあるごとに日本人を「猿」と呼ぶようになる。 ロシア首相
セルゲイ・ヴィッテは皇太子の日本人蔑視が後の日露戦争を招いたと分析している」。
大津での昼食は温かい蕎麦と握り寿司の定食。
(中略・・・PDFでご覧ください)
■京都三条大橋
三条大橋着は午後3時、5年前の東海道ウォーキングでは孫の出迎えを受けたが、今回は家内のみ。 本日は4万歩。
東海道53次の公称492Kmは20日で踏破、但し、宮と桑名間の27Kmは海上なので、歩いた距離としては465Km。
中山道69次534Kmは19日で踏破したので、1日平均は東海道の23Kmに対し28Kmと2割程伸びている。
歩数については、東海道は96万歩で4.8万歩/日。 中山道は11日目と12日目は歩数計を忘れており宿場間の公称距離の52.9Kmを歩幅70cm
で計算し、総計102.7万歩で5.4万歩/日に増えている。(完)
楽しかった中山道ウォーキングは完了し、次の計画を色々と空想しております。 長い間のご愛読、まことに有難うございました。
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