シャープ社友会 会員情報
更新日:2018年 7月 2日
連載:時の流れを訪ねて 鉄道今昔物語
【お知らせ】 第1回「阪和線 今昔物語」以来、13回の「時の流れを訪ねて 鉄道今昔物語」を投稿して頂きました廣田直昭さん(0443)が6月5日
動脈瘤のため急逝されました。 廣田さん、懐かしい鉄道の記事の投稿、有難う御座いました。 心からご冥福をお祈りいたします。
【第13回】
掲載日:2018年 6月 1日
【第12回】
掲載日:2018年 5月 1日
【第11回】
掲載日:2018年 4月15日
【第10回】
掲載日:2018年 4月 1日
【第9回】
掲載日:2018年 3月 1日
【第8回】
掲載日:2018年 2月 1日
【第7回】
掲載日:2018年 1月 1日
【第6回】
掲載日:2017年12月 3日
【第5回】
掲載日:2017年11月 4日
【第4回】
掲載日:2017年10月10日
【第3回】
掲載日:2017年 9月 6日
【第2回】
掲載日:2017年 8月 9日
【第1回】
掲載日:2017年 6月25日
【号 外】
掲載日:2018年 4月 6日
時の流れを訪ねて【第13回】 関西本線 大河原~加茂間 final
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2018年 6月 1日
投入されました。 亀山鉄道部に14両が配置され、関西本線亀山駅-加茂駅間で、1時間に1~2本 単行か2両編成で運用されています。
今から62年前の1956年には関西本線を全通する列車や、東海道本線経由東京駅・和歌山線経由和歌山市駅など他区間と直通する列車や急行列車・
準急列車・D51が牽引する貨物列車などが走っていました。
時の流れを訪ねて「関西本線 大河原~加茂間」は、1956年に撮影した写真と、62年後の2018年5月に撮影した写真をご覧ください。
時の流れを訪ねて【第12回】 山陰本線 二代目余部橋梁
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2018年 5月 1日
上部は桁上高さ5mの主塔から張られた斜材が桁を吊っており、下部は橋脚4基と橋台2基で構成。高さ1.7mの透明アクリル製防風壁を整備して、
風速 30 m/s まで運行可能としました。
これにより定時性確保の向上が図られ、コンクリート製となって橋梁上にバラストも敷かれた為に騒音も大きく軽減されました。
落下物に関しては20年確率での積雪量を想定した貯雪スペースを設けた構造にして、橋下への落雪を防止するなどの各種対策が施されました。
また、将来的に電化される場合にも対応できる構造となっています。 デザインは直線で構成されたシンプルな美しさ風景にとけ込む透明感が魅力的
な部分で、旧橋梁のイメージを取り入れて薄い橋桁にするなど、スレンダーで直線的なイメージを継承するように設計されました。
2010年8月12日早朝、ディーゼル機関車による試運転列車が最初に新橋梁を渡り、定期列車の初運行は午前6時半過ぎの始発列車で、地元住民約
120人が乗車して新橋梁を通過し開通を祝いました。こうして二代目余部橋梁は、日本一の初代餘部橋梁の誇りを受け継ぎ運用が開始されました。
初代同様眺望も美しく新たな余部のシンボルとなっています。
時の流れを訪ねて【第11回】 山陰本線旧余部橋梁(2)
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2018年 4月15日
転落した車両は橋梁の真下にあった水産加工工場と民家を直撃し、工場が全壊、民家が半壊しました。 回送列車で乗客は居ませんが工場の従業員
だった主婦5名と列車に乗務中の車掌1名の計6名が死亡、客車内にいた日本食堂の車内販売員3名と工場の従業員3名の計6名が重傷を負いました。
なお、重量のある機関車が転落を免れた事と、民家の住民が留守だった事で、機関士と民家の住民は無事でした。
この橋梁からの列車の転落は、橋の完成以来初めての惨事で1988年10月23日に事故現場に慰霊碑が建立されました。
列車転落事故後に風速規制が強化された事から運休や遅延が相次ぐようになり、その対策として防風柵の設置が検討されましたが、長期的な安全性
を考慮して架け替え案が採用されることになりました。 直近の地元住民は多くの落下物や騒音に悩まされてきた事例もあり、旧橋梁による負の一面
も有りました。 2010年7月16日午後9時50分頃「はまかぜ」5号の通過をもって営業運行を終了、翌7月17日から区間運休し旧橋梁の解体撤去作業
が開始され、新旧切替工事が8月11日まで行われ、2010年8月12日から新橋梁の供用が始まりました。
次回は新余部鉄橋についてお知らせする予定です。
時の流れを訪ねて【第10回】 山陰本線旧余部橋梁(1)
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2018年 4月 1日
に完成から98年という長期にわたる運用実績を残しました。 1912年1月13日工事が完成し1月28日、無事試運転を行うことができました。
試運転はC形タンク機関車の重連で行われ、速度を変えながら数回にわたって走行し、3月1日に京都 - 出雲今市(現出雲市)間の山陰本線が全通しま
した。 山陰本線が開通するまで山陰方面へは舞鶴と境を結ぶ鉄道連絡船が就航していました。 しかし山陰本線開通に伴いこの航路は廃止となり、
それまで船舶乗り継ぎで京都 - 出雲今市間は24時間19分かかっていたのが、直通列車で12時間49分に短縮されました。 三方を山に囲まれ、一方は
海岸から近いという厳しい地形と、季節風や吹雪が吹き付ける環境であることから、完成3年後には早くも塗装作業が必要となり、5年後からは腐食
した部品の交換が始められました。 常時保守が必要であったため1917年から1965年まで、鉄橋守が常駐して維持管理を行っていました。
鉄橋守が置かれなくなった後も潮風が吹きつける橋脚には防錆処理をするため、4 - 5年に1度の周期で塗装作業が行われてきました。
次号に続きます。
時の流れを訪ねて【第9回】 可愛いナローゲージ
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2018年 3月 1日
四日市あすなろう鉄道は近畿日本鉄道が保有運営していた鉄道路線内部線と八王子線を、2015年4月1日より四日市市が保有し運行している鉄道路線です。
内部線(あすなろう四日市駅―内部駅間)、八王子線(日永駅―西日野駅間)の2路線営業路線5.7Km・軌間762mmナローゲージ・複線区間なし・駅数9駅
です。 三重県でしか乗ることのできないナローゲージの写真をご覧ください。
三岐鉄道北勢線は桑名駅(JR・近鉄)から南に150m程離れた西桑名駅から出発します。
ここでお勧めなのが西桑名駅から更に南に200m程進んだ所にある踏切です。 三岐鉄道北勢線軌間762mm・JR関西本線軌間1067mm・近鉄名古屋線軌間
1435mmが並んで走っており、渡れば軌間の違いが体感できる場所です。
又、終点の阿下喜駅で毎月第一・第三日曜日に一般公開される軽便鉄道博物館でミニ列車に乗るのも思い出に残ります。
四日市あすなろう鉄道のあすなろう四日市駅は近鉄四日市駅から歩いて数分の近鉄名古屋線の高架下にあります。
あすなろう四日市駅から終点の内部まで17分・西日野まで8分で夫々1時間に2本ずつ運行しています。
時の流れを訪ねて【第8回】 近畿日本鉄道 今昔物語
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2018年 2月 1日
の流れを受け継いだものです。 現在日本では近鉄が三重県の三岐鉄道に譲渡した旧近鉄北勢線、四日市あすなろう鉄道に移管した旧近鉄内部・
八王子線、それに専用鉄道を一般営業路線にした黒部峡谷鉄道本線しか存在していません。
今回も昔の写真を手に時の流れを訪ねての写真撮影時に、色々な事がありました。
【今里】 複々線にそれぞれに車両が写る時を狙って待った時間が48分。
【新玉手山トンネル】 狭い山道をトンネルの近くまで、途中野生の猪に出くわしビックリ。
【西ノ京駅】 昔はホーム横の薬師寺の石碑の手前で発車待ちの列車を撮影。今回は石碑の手前を通過する停車前の写真を撮影。
【油阪】 道幅が広くなり、昔は高架で国鉄の線路を越えていた近鉄が地下に潜り、JRが高架で道路を越えています。
西方寺さんは昔の位置にありました。
次回はナローゲージ(特殊狭軌)の四日市あすなろう鉄道と三岐鉄道北勢線の写真をご覧頂く予定です。
☆時の流れを訪ねて【第7回】 戌年生まれの車両 new!
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2017年 1月 1日
近年は旧型車両の刷新が話題になり、毎年記憶に残る車両のデビューや勇退があります。 皆様にも記憶に残る車両はありませんか?
その車両に思いを寄せると、当時の様子がよみがえり、癒しの時間が生まれる様に思います。
戌年に生まれた車両の写真をご覧ください。
※ 写真をクリックすると大きくなります。 左右の < > で写真が切替ります。 元の大きさに戻す時は×をクリックしてください。
☆時の流れを訪ねて【第6回】 蒸気機関車が牽引するお召列車
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2017年12月 3日
運転士は運転区間を管轄する車両基地内で技術・勤務態度・人間性を踏まえて選ばれ、特に衝撃のない発車や停止、数秒の狂いもない運転、
数cmのズレも許されない停止位置など通常の列車に比べて極めて細かい運行が求められるため運転技術が特に優れた運転士が選ばれました。
現代においても、お召し列車の運行については沿線や駅の警備の他に、下に記した事柄の如く細心の注意が払われています。
①車両が故障した時の代替として予備車を用意する。
②電化区間の場合は、停電時の対策にディーゼル機関車を用意する場合も有る。
③通常の車両を使用する場合でも塗装を塗り直した上でフラットを無くすために車輪の削正適正な踏面形状への削り直しを施工し、窓を防弾
ガラスにする。 また、警察用無線の設置スペースが確保されています。
④列車の運行の直前に特別の回送列車(指導列車、通常は単行機関車)を走らせ、線路上に問題がないことを確認します。(通称「露払い)
列車の性格上、テロ対策の為、極めて厳しい警備が行われます。 ごみ箱やコインロッカーの使用が禁止されたり、場合によってはプラット
ホームへの入場制限が行われたりし、沿線には警察官が配置され、列車上空をヘリコプターが追尾します。
ただし沿線で写真を撮る事が縛られているわけではなく、お召し列車を撮る鉄道ファンも少なくありません。
近年、お召列車は国賓を迎えた際など特別な場合のみ用いられています。
※ 写真をクリックすると大きくなります。 左右の < > で写真が切替ります。 元の大きさに戻す時は×をクリックしてください。
時の流れを訪ねて【第5回】 東海道本線今昔物語
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2017年11月 4日
・1929年(昭和4年)には初めて愛称つきの特急「富士」「櫻」が、1930年(昭和5年)には超特急「燕」が登場。
・1934年(昭和9年)には丹那トンネルが開業し、「燕」の東京-神戸間は8時間37分となりました。
・1937年(昭和12年)7月には特急列車が1日5往復体制となり、このときが戦前における東海道本線の黄金期とされます。
しかし日中戦争、太平洋戦争が始まり戦時体制下となると、様々な物資を運ぶために貨物列車が増発・長編成化されて、代わって特急列車は
廃止され寝台車や食堂車も消滅しました。 1945年に入ると連合国軍機による空襲や機銃掃射によって駅や線路・車両が破壊されました。
・日本は敗戦を迎え、その後の混乱期には、電力不足や蒸気機関車を動かすための石炭も不足した上に、連合国軍専用車両の導入などもあり
列車ダイヤは乱れ、特急・急行や一等車・二等車がまったく走らないという事態になり、客車不足のために貨車による旅客輸送が行われたり
もしました。
・1948年(昭和23年)に急行列車が復活。 1949年(昭和24年)に日本国有鉄道が発足、戦後初の特急列車「へいわ」が運行開始、電化区間も
沼津駅から西へ延び所要時間も戦前の水準にまで短縮されました。
・1956年(昭和31年)、東海道本線全線の電化が完成、特急「つばめ」「はと」は東京駅-大阪駅間7時間30分となりました。
・1958年(昭和33年)には寝台列車(ブルートレイン)が運行を開始、電車特急「こだま」が運行を開始し、東京駅-大阪駅間を6時間50分で
結びました。
・1960年(昭和35年)には「つばめ」「はと」も電車化されました。
・貨物列車では1959年(昭和34年)に高速コンテナ列車「たから」の運行が開始しました。
・このころ高度経済成長や東京オリンピックの開催決定を受け輸送力増強のための線増計画が持ち上がり、標準軌による別線建設が決定。
1959年(昭和34年)に着工が始まり、これが東海道新幹線となりました。
・1964年(昭和39年)10月1日、東海道新幹線東京駅 - 新大阪駅間が開業。 これによって東京-京阪神間輸送の主役は新幹線に移ったため、
在来線と呼ばれるようになった東海道本線では地域輸送主体の路線に変化していきます。
・1987年(昭和62年)4月1日に行われた国鉄分割民営化によって、東海道本線は旅客3社と貨物1社に経営が分かれ、各社の地域事情に合わせ
た輸送改善が行われる様になりました。
時の流れを訪ねて【第4回】 大阪市電 今昔物語
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2017年10月10日
時の流れを訪ねて【第3回】 南海電鉄 今昔物語
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2017年 9月 6日
時の流れを訪ねて【第2回】 大和路線 今昔物語
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2017年 8月 9日
時の流れを訪ねて【第1回】 阪和線 今昔物語
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2017年 6月25日
☆ 南海高野線(高野下駅ー極楽橋駅)の運転再開 天空に乗りました new!
廣田直昭さん(0443)から
掲載日:2018年 4月 6日
※ 写真をクリックすると大きくなります。 左右の < > で写真が切替ります。 元の大きさに戻す時は×をクリックしてください。